「購買の意思決定が『人』ではなく『AI』に委ねられたとき、私たちはどのようにアプローチし、商品を販売すればいいのか」
AIが情報を収集し、購買決定までを代行する「エージェンティックコマース」。この新しい潮流は、顧客の消費行動を変えるだけでなく、企業の事業構造やビジネス戦略そのものに抜本的な見直しを迫っています。
こうした急激な変化を前に、エンタープライズ企業の経営層は今、どのような戦略を描き、何から手を打つべきでしょうか。その答えを探るべく、6月、都内にてデロイト トーマツ、Shopify Japan、TISIの3社共催による招待制CxOラウンドテーブル「エージェンティックコマース | AIが購買を代行する時代の経営戦略」が開催されました。
当日は、各社からの最新動向の解説に加え、自社の「AI Readiness(AIに対する準備度)」を測るワークショップを実施。各業界のCxOや事業責任者が集い、次世代コマースに向けた実践的な議論が交わされました。本レポートでは当日の模様から、これからの時代に求められる経営戦略のヒントをひも解きます。
AI時代の経営をテーマにした招待制ラウンドテーブル。会場には多数のCxOや事業責任者が足を運んだ。
本記事の5つのポイント
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「検索して比較して買う」という購買行動が崩れつつある。すでに国内消費者の半数以上がAIで商品を探しており、平均注文金額も高くなっている。
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GoogleとShopifyが共同開発するオープンプロトコル「UCP」により、AIとの対話画面から離脱せず決済まで完結する購買体験が現実になりつつある。
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マーケティングの主戦場はSEOからGEO(生成エンジン最適化)へ。商品情報が構造化されていなければ、AIから見てその商品は「存在しない」のと同じになる。
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AI経営の初手には、エージェンティックコマースが最適。論点・ビジネス価値・対象データの範囲が明確で、CoE(センター・オブ・エクセレンス)設立やFDE(フォワード・デプロイド・エンジニア)人材育成といった全社変革の起点になりやすい。
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投資の力点はフロントのUI/UX改善から「AIに推奨される文脈データ」の整備へ移る。PL・KPIの再設計と、店舗接客に眠る暗黙知の形式知化が急務となる。
AIが商品を推薦する時代のコマース戦略:Shopify 馬場道生
インターネットの普及以降、EC領域における消費者の購買行動は「検索窓にキーワードを入力し、表示された一覧を自ら比較して購入する」というプロセスが主流でした。しかし、生成AIの急速な発展は、この30年間定着していた前提を根本から覆しつつあります。
Shopify Japanのカントリーマネージャーである馬場道生は、セッションの冒頭で現在の市場環境の変化について次のように指摘します。
「この30年間当たり前だった『検索して比較して買う』という購買体験が今、崩れてきています。見つけ方も見つけられ方も、AIが中心になっていく時代に突入しているのです」(馬場)
市場データもこの変化を裏付けています。グローバル市場では、すでに消費者の55%が商品のリサーチにAIを利用しており、Shopify Japanが国内で実施したアンケート調査でも、51%以上の消費者が「AIを使って商品を見つける」と回答しています。また、世界中で毎日数十億件発生しているChatGPTのクエリのうち、実に14%以上がショッピングに関連する内容であるというデータもあります。
こうした変化は、企業の売上チャネルにもダイレクトに影響を与え始めています。Shopifyの独自データによると、前年と比較してAI検索を経由して同プラットフォーム上のストアで購買するユーザー数は15%倍に増加しました。さらに注目すべきは、従来のチャネルと比較して平均注文金額(AOV)が30%も向上しているという事実です。

Shopify Japan 講演資料より
「これは、AIが商品の比較と推薦を完了した状態でお客様を送り込んできているため、消費者は非常に高い購買意欲を持った状態でストアにやってきているということを意味しています。自社のオンラインストアを訪れる前に、AIとの会話の中で商品の発見と理解がすでに深まっているのです」(馬場)
AIとECをつなぐオープンスタンダード「UCP」の全貌
AI主導の購買環境への移行を加速させる具体的な技術基盤として、現在グローバルで標準化が進められているのが「UCP(Universal Commerce Protocol:ユニバーサルコマースプロトコル)」です。UCPは、GoogleとShopifyが中心となって共同開発しているプロトコルで、AIエージェントがさまざまな加盟店と安全かつ円滑に接続して取引を完結させるためのオープンな共通言語として設計されています。
「UCPは、AIエージェントが商品を検索し、カートに入れ、最終的なチェックアウトまでを完了させるためのオープンなプロトコルです。例えるなら、Shopifyのようなコマースプラットフォームと、GeminiやChatGPTといった生成AIをシームレスにつなぐ『通訳』、あるいは『交渉役』のようなものであると表現することができます」(馬場)

Shopify Japan 講演資料より
では、UCPが実装された世界において、実際の購買体験はどのように変化するのでしょうか。具体的なユースケースとして、GoogleのAI「Gemini」を活用した対話型購買の例が挙げられます。ユーザーがAIに対して「マイアミ旅行に行くために、軽くて丈夫なスーツケースを探している」と自然言語で指示を出すと、AIはそのコンテクスト(文脈)に最適な商品を複数のストアから選定し、提示します。
「今日、私たちが体験している世界では、AIは商品を推薦するに留まり、最終的には提示されたリンクをクリックして各ブランドの店舗に移動して購入する必要があります。しかし、UCPが普及した世界における決定的な違いは、AIとの対話画面から一歩も出ることなく、会話の中でそのまま決済までを一気通貫で完了できる点にあります」(馬場)
ここで重要なのは、Shopifyが重視しているのが「単にAIチャネルに商品を表示させること」ではないという点です。在庫状況やリアルタイムの価格、配送条件、割引、ロイヤルティプログラムといったブランド側の複雑なビジネスロジックを、AI上の購買体験にも一貫して反映させる。これこそが、Shopifyがエージェンティックコマースの基盤づくりにおいて果たす最大の役割となります。
AIエージェントに選ばれるための3つの評価軸
購買の意思決定権が人からAIへとシフトしていくプロセスにおいて、企業が取り組むべきマーケティング戦略も「SEO(検索エンジン最適化)」から「GEO(Generative Engine Optimization:生成エンジン最適化)」や「LLMO(大規模言語モデル最適化)」へと変化します。
では、AIエージェントは具体的に何を基準にして、推薦するブランドの優劣を判断しているのでしょうか。
「AIが参照しているのは、第1に『高品質なデータ』、第2に『引用に値するコンテンツ』、第3に『そこにユーザーの感情(レビューや評判など)があるか』という3つの軸です」(馬場)
特に「高品質なデータ」について考える際、人間中心とAI中心の最適化の違いを理解する必要があります。人間向けのWebサイトであれば、視覚的に美しいレイアウトや洗練されたキャッチコピー、大きな写真が重視されます。しかし、AI中心の最適化においてはバックエンドにある「コード(構造化データ)」が評価対象となります。そのため、人に伝わるブランド体験と、AIに正しく理解される商品情報の両方を整えることが求められるのです。

人間が見ているECサイトと、AIが見ているECサイト。
「情報が正しく構造化されていなければ、AIの視点からはその製品自体が『世界に存在していない』ことと同じになってしまいます。AI向けの最適化においては、商品のカテゴリーやサイズ、素材、スタイルといった基本情報はもちろんのこと、ペットや子どもにフレンドリーであるか、どのような気温や湿度の環境に適応するのか、具体的な納期、さらにはどのような利用シーンや部屋にマッチするのかといった細かな属性情報に対して、すべての値が正しく入力されているかどうかが極めて重要になります。AIはこれらの多角的な指標をシステム的に確認し、ユーザーへの推薦度を決定しているのです」
セッションの締めくくりとして、馬場は参加した経営層や事業責任者に向けて、自社の「AI Readiness(AIに対する準備度)」を測定するための、明日から実践できる具体的な自己診断手法を提示しました。
企業のマーケティングファネル(認知・検討・購入)の各フェーズにおいて、自社が利用している主要な生成AIツールに対し、買い物客の立場に立って以下のような質問を直接投げかけるアプローチです。
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「これらの質問を実際のAIに投げかけてみてください。皆様の商品やブランド名が明確に引用・言及される場所と、完全に無視されて表示すらされない場所が浮き彫りになるはずです。その回答結果に現れた『ギャップ』を一つひとつ埋めていく具体的な施策リストこそが、皆様が今後取り組むべきGEO(生成エンジン最適化)における実務的なロードマップになります」(馬場)
AIが購買の意思決定に関与する時代。企業にまず求められているのは、自社の商品やブランドが「AIにどう理解されているか」を把握し、情報を正しく読み取れる状態に整えることです。そのうえで、既存のコマース基盤をAI時代に合わせてどう進化させ、信頼されるUGCの循環を構築していくのか。これは現場だけの改善活動ではなく、経営トップが主導すべき構造改革にほかなりません。
AI Driven 経営の人材戦略・組織のあり方:デロイト トーマツ原裕之氏
エージェンティックコマースに代表される次世代のAIテクノロジーを、いかにして自社の事業成長エンジンとして組み込むか。ツールの導入にとどまらず、それを牽引する「人材」と「組織」のアップデートこそが、エンタープライズ企業が直面する最大の経営課題です。
デロイト トーマツのパートナーであり、コンサルタントとして20年にわたり伴走支援を指揮してきた原裕之氏は、AIドリブン経営を目指す企業の「現在地」と「共通する課題」について、次のように語ります。
「実際の業務運用レベルで、AIを本格的に活用できている企業はまだ限られているのではないでしょうか。我々が多くのクライアントと対話する中でも、局所的なPoC(実証実験)までは進むものの、そこから先の全社展開で足踏みをしてしまう、という悩みをよく耳にします」(原氏)

デロイト トーマツのパートナー 原裕之氏
この根本原因は、単一の事業部や営業部門だけで独自にAI活用を進めてしまう「サイロ化」にあります。技術の検証自体はできても、経営層が全社的な投資判断を下すための事業戦略との連動性が欠落してしまうためです。
全社横断でAIのポテンシャルを解放し、経営戦略からデータ基盤の構築、そして人材育成までの複雑なプロセスを有機的に接続するためには、組織構造そのものの見直しが不可欠です。
「現場主導の個別最適では、経営層と現場が直接対話してアラインメントをとることは困難です。目指すべきは『CoE(Center of Excellence:センター・オブ・エクセレンス)』のような、経営戦略を担保しつつ現場チームを中央集権的にサポートする専門組織の設立です。我々としても、直近ではこうした組織設計をご支援するケースが増えています」(原氏)
AI実装の鉄則:「バックキャスト」と「組織文化の変革」
AIを活用した次世代のコマース体験を実現するためには、顧客の利便性を高めれば高めるほど、裏側で企業が準備すべきデータやシステムのハードルは高くなります。こうしたプロジェクトを頓挫させないための鉄則として、原氏は「バックキャスト」「スタートスモール」「ラーンファースト」という3つのアプローチを提示します。
「エージェンティックコマースに対応するならば、まずは商品データをAIに正確に読み込ませる必要があります。その次に、リアルタイムの在庫と価格データを連携し、さらに顧客の決済情報や信頼性を担保する仕組みへと拡張していく。最終的なゴールから『バックキャスト(逆算)』して、必要なデータを順繰りに、かつ『スタートスモール』で準備していく緻密なロードマップが不可欠です」(原氏)
同時に、システムの実装と同じくらい重要になるのが「チェンジマネジメント(組織文化の変革)」です。どれほど高度なAI基盤を構築しても、従業員が日常業務の中でAIを活用し、自らその価値を体感しなければ、組織全体の生産性向上には直結しません。
「実はデロイト内でも、経営陣であるパートナー層が最も自社のAIツールを使っていないことが分かり、早急に改善を図ったことがあります。知識を体系化して横展開する『ラーンファースト』を組織に根付かせるためには、単なる掛け声ではなく、マネジメント層が自ら体験し、実感した効果をメンバーに伝えていくことで、AI利用が『当たり前』である風土を構築していく必要があります」

デロイト トーマツ 講演資料より
求められる「FDE」人材と、AI時代の組織づくり
AIドリブンな事業開発において、現在あらゆる企業で枯渇しているのが「ビジネスとテクノロジーを高度に橋渡しできる人材」です。原氏はこうした人材を、業務要件からシステム実装までを一気通貫で担える「FDE(フォワード・デプロイド・エンジニア)」と定義し、その重要性を訴えます。
「自社の業務プロセスを深く理解し、そこから必要な機能要件やデータ要件に落とし込み、優先順位をつけて実装まで牽引できる。そんなスーパーマンのようなFDE人材は市場にほとんどおらず、社内での育成も極めて困難です。そのような状況に対して、コンサルティングファームは『我々が足りないキャパシティを補完します』と提案するわけです」
しかし、原氏は外部パートナーとしての立場でありながら、エンタープライズ企業が目指すべき本来の中長期的なあり方について、あえて次のようなメッセージを投げかけます。
「企業側は最終的に、『コンサルの提案はありがたいが、うちにはすでにそうした人材がいるから自社でできる』という状態になるべきだと、私は本気で思っています。外部の力を借りながらでも、FDEに相当するケイパビリティを自社内にしっかりと蓄積していくことこそが、AI時代を勝ち抜くための本当の準備です」(原氏)

「AI経営の初手」としてエージェンティックコマースが最適な理由
多くの企業が直面する「AIプロジェクトが頓挫する壁」。それは具体的に「検証の論点が絞れない」「PL(損益計算書)へのインパクト、つまりビジネス価値が経営層に判断できない」「どこまでデータを準備すべきか範囲が不明確である」という3つの要因に集約されます。
原氏は、自社のAIドリブン経営を推進するための「初手(ファーストステップ)」として、エージェンティックコマース領域から取り組むことが極めて合理的であると断言します。
「エージェンティックコマースは、AIプロジェクトを阻む壁を突破しやすい構造を持っています。まず、商品をAIに認識させるという『やるべきこと(論点)』が極めて明確です。さらに、コマース領域であるためトップラインの向上というビジネス上の価値や目標が経営層にも明確に伝わります。そして、商品や在庫といった『準備すべき対象データ』の範囲が限定されているため、データガバナンスも効かせやすいのです」
セッションの締めくくりとして、原氏はコマース事業全体におけるBPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング:業務改革)の根本的な考え方の転換について言及しました。
「AI時代のBPRは、もはや『As-Is(現状)』からの積み上げではありません。AIが存在することを大前提として、ゼロベースでプロセスそのものを再設計する必要があります。コマース事業の中にはAIを適用できる業務ファンクションが数多く存在しますが、実際にはボリュームゾーンの業務になかなかAIが組み込めていないのが実情です」(原氏)
経営課題はすでに、「AIをどう使うか」から「AIを前提とした事業構造をどうつくるか」へと移行しています。外部環境の変化を待つのではなく、自社内にCoEを立ち上げ、FDE人材を育成し、明確な成果が見込めるエージェンティックコマースから着実にデータを実装していく。経営層が自らAIの価値を体感し、組織全体の文化を作り変えることこそが、次世代のビジネス環境において「自力」を蓄えるための道筋と言えます。
エージェンティックコマース時代に向けた構えとして、事業者が今検討すべきこと:TISI 渡辺啓之氏

デジタルマーケティング基盤の構築から事業のグロースまで、エンタープライズのEC領域を総合的に支援するTISI。同社のデジタルイノベーション事業部 兼 エンタープライズサービス事業部の副事業部長を務める渡辺啓之氏は、AI時代における事業構造の変革について、システム開発を担うSIerとしての視点にとどまらず、事業主の経営課題という高い視座から切り込みました。
渡辺氏はまず、エージェンティックコマースによる顧客体験の進化を3つのステージに分類して説明します。顧客が自ら比較検討して意思決定する「人中心モデル」、AIに相談したうえで人がサイトを訪れる「AI支援モデル」、そしてAI自身が最適な商品を比較・選定し決済までを代行する「AI完結(エージェント・トゥ・エージェント)モデル」です。

TISI 講演資料より
「これから顧客体験は、AI完結モデルへと確実にシフトしていきます。しかし、事業戦略上最も重要なのは、現在がどのステージにあるかということよりも、『AIが企業と顧客(BtoC)の間のインターフェースとして完全に介在している』という事実を捉えることです」(渡辺氏)
顧客と企業の間にAIが介在することは、これまでのEC事業における「勝ちパターン」と「投資構造」を根底から無効化します。
従来のEC事業は、広告やランディングページで集客を図り、自社サイトに滞在するユーザーに対して、UI/UXの改善や緻密なABテストを繰り返すことでコンバージョンを高めていくモデルでした。しかし、AIのプラットフォーム上で購買の意思決定が完結するようになれば、この前提は崩壊します。
「ユーザーが自社サイトに到達する前、AIとの対話の中で購買判断が完結してしまうということは、これまでフロントのUXに莫大なお金をかけてきたコンバージョンのメカニズムが機能しづらくなることを意味します。EC事業の集客と販売のあり方を、根本から変えなければなりません」(渡辺氏)
事業者が今すぐ検討すべき「4つの経営アジェンダ」
企業が新たに投資をシフトすべき先が、「コンテクスト(文脈)」の構築になります。AIは、単なる商品スペックや属性情報の羅列では商品を推奨しません。ユーザーが入力した「課題」に対して、「なぜこの商品が最適なのか」という論理的な理由付けを行います。
「顧客の課題と、自社が提供している商品の特性がマッチしていなければAIからは推奨されませんし、そもそもその『文脈』のデータがシステム上に存在しなければ、推薦されようがないのです。いかにしてAIが理解できる形で、推奨されるための文脈を作り込んでいくかが今後の主戦場になります」
EC事業の投資の力点が「UI/UX」から「文脈データの整備とAIへの連携基盤」へと移る中、渡辺氏はエンタープライズの経営層が今すぐ着手すべき具体的なテーマを4つのアジェンダに集約して提示しました。
商品の企画段階から、「この製品は顧客のどのような課題を解決するのか」という機能的価値を超えた感情的な文脈を言語化することが求められます。経営層は、この文脈設計が組織のプロセスに組み込まれているかをモニタリングする必要があります。
社内の各部署に散在している製品情報や顧客対応データを統合し、AIがシステム的に読み取れる形(構造化データ)に変換・保持する仕組みが必要です。
投資の力点が変わるということは、EC事業のPL(損益計算書)の構造が抜本的に変わるということです。既存の広告費やUI改修費をそのままにAIへの投資を単に積み重ねるのではなく、PL全体を見ながら投資構造を整理し直す必要があります。同時に、エージェンティックコマース経由の売上をどう評価するかという新しいKPIの設計も急務です。
AI対応はIT部門やシステム担当者だけで完結するものではありません。データを分断させず、顧客に最も近い現場の知見をシステムに組み込むための組織横断的なプロセス設計が不可欠です。 |
AIが商品を推奨する根拠となる「コンテクスト(文脈)」や「経験価値」を、企業はゼロから捻出する必要はありません。渡辺氏は、その強力なデータソースはすでに現場に存在していると指摘します。
「店舗やカスタマーサポートで日々行われている『お客様のこういう悩みに対して、これを提案する』という接客の対話は、経験価値とコンテクストの宝庫です。しかし現状、そうした暗黙知は一部のスタッフの頭の中にとどまっており、全社の形式知やデータにはなっていません」(渡辺氏)
実店舗をはじめとする顧客接点を、AIに必要な文脈を形成・収集するための巨大な『AI学習センター』として再定義することが有効な戦略となります。そこでしか得られない対話や体験を文脈データとして編集しシステムにつなぎ込むことができれば、他社には模倣できない課題解決力をAI市場に提示することができます。
テクノロジーが進化しても変わらない「提供価値の本質」
AIによる自動購買が普及し、集客のメカニズムやPL構造がどれほど劇的に変化したとしても、ビジネスの根底にあるルールは不変です。渡辺氏は、オムニチャネル時代に提唱された「機能性だけでなく、記憶に残る体験をどこでどう提供するか」という命題を引き合いに出し、セッションを次のように結びました。
「エージェンティックコマースの時代になり、ゲームのルールや顧客へのアプローチ手法、事業のPL構造は確かに変わります。しかし、企業が顧客に対してどのような価値を提供するのかという『原理原則』は決して変わりません。いかに自社の本質的な提供価値を磨き上げ、そこに投資を集中できるか。それこそが、これからのAI時代を勝ち抜くための最大の鍵となるのです」(渡辺氏)
テクノロジーの波に流されてITツールの機能に踊らされるのではなく、自社の提供価値を再定義し、それをAIが読み取れる構造的な「文脈」へと変換する。経営トップ主導によるビジネスモデルの再構築こそが、事業者を次なる成長軌道へと導く基盤となります。
組織の「AI Readiness」を測る:変革を阻む壁と突破口
デロイト トーマツの原裕之氏と、TISIの渡辺啓之氏のセッションで示された「AIドリブン経営への構造改革」というテーマを受けて、後半のプログラムでは参加したCxO・事業責任者らが各テーブルに分かれ、自社の現状課題を共有し合う実践的なワークショップが実施されました。
前半のワークショップでは、原氏の進行のもと、同社が定義するデータドリブン経営の評価指標「IDOフレームワーク」を活用し、各社における「組織と人材」「プロセスとガバナンス」の課題が議論されました。
各テーブルからは現場のリアルな課題と、それを突破するための具体的な施策が共有され、あるテーブルの代表者は、AIの社内浸透における「リソース配分のジレンマ」について次のように発表しました。
「AIを導入しても、結局これまでと同じ人数のまま従来のやり方で業務が回ってしまうため、現場での利用の優先順位が上がらないという共通の課題がありました。これに対する取り組みとして非常に参考になったのが、『意図的にその業務の配置人数を削減する』というアプローチです。一人ひとりをあえて忙しい状態にし、AIを使わざるを得ない環境を強制的に作り出す。そして削減できた余剰人材は、他の部署へDX・AIのアンバサダーとして配置転換したり、新規事業にアサインしたりする。こうした組織構造の設計が重要だという学びがありました」
この発表を受け、原氏は日本企業におけるAI導入の現在地と、経営層に求められるリーダーシップについて総括します。
「多くの企業が、まずは自分の仕事を楽にする『ボトムアップの業務効率化』からAI活用を始めています。しかし、経営層として『まずここからやるんだ』という強い意思表示がなければ、企業は『社内業務の効率化が少し進んだ』という段階で満足してしまい、本来の目的であるコマース事業の改善やトップラインの向上へと歩みを進めることができません。経営トップ自らがAIの価値を体験し、リーダーシップを発揮して全社に方向性を示すことが、日本のコマース産業を次なるステージへ引き上げる鍵となります」(原氏)

続く、後半のワークショップでは、TISI・渡辺氏進行のもと、議論の視座を「社内組織」から「外部の市場と顧客接点」へと移し、来るべきエージェンティックコマース時代に向けた各社の事業戦略が議論されました。渡辺氏は、冒頭で次のように呼びかけました。
「AIが購買のインターフェースとなることで、自社のビジネスにどのようなインパクトがもたらされるのか。そして、その変化を踏まえた上で、自社は顧客に対して『どのような価値』を提供すべきなのか。その提供価値を実現するためには、今後何を準備しなければならないのか。正解を出すことよりも、各社の視点を交えて深く議論していただくことが目的です」(渡辺氏)
参加者は、これまでのセッションで提示された「UCPの要件」「GEOへの対応」「文脈データの構築」といった構造的な課題を自社の事業に当てはめ、白熱したディスカッションを展開しました。
「実店舗の接客で得られる『暗黙知』をいかにして形式知化し、AIに読み込ませる文脈データとするべきか」「これまでの集客やCVR改善に投じていた予算を、どのようにAI最適化の領域へシフトさせていくべきか」といった、より実務的で踏み込んだ経営アジェンダが各テーブルで交わされました。
エージェンティックコマースは、企業と顧客の関わり方そのものを根本から変化させます。今回のラウンドテーブル全体を通じて浮き彫りになったのは、システムやデータ基盤の刷新と同時に、自社の「顧客に対する本質的な提供価値」を再定義し、それをAIという新たなプラットフォームに乗せていくという、経営トップ主導の構造改革の必要性でした。




